01
 宮原雄一《みやはらゆういち》の朝は慌しい。
 七時半に起床し、軽く洗顔したあと朝食の準備に取りかかる。
 自分一人だけなら栄養補助食品のゼリーかなにかで済ませてしまうかもしれないが、宮原にはそんな手抜きができない理由がある。五歳の息子・雄飛《ゆうひ》がいるからだ。
 毎朝変わり映えのしないメニューを申し訳なく思いながら、わかめの味噌汁、半熟の目玉焼き、納豆を座卓上に並べていく。
 そして八時。
 前夜にタイマーセットした炊飯器が炊き上がりのメロディーを奏でるのと同時に、部屋のチャイムが鳴った。
 宮原が玄関を開ける必要もなく、合鍵を持った訪問者は勝手に部屋へと上がりこんでくる。宮原の高校時代の後輩で、今はアパートの隣人でもある高槻宗《たかつきしゅう》だ。

「おはようございます、先輩」

 高槻は起きぬけの掠れた声で挨拶し、雄飛の寝ている和室へと向かう。
 鴨居をくぐる一八〇センチを超す長身の背中を眺めながら、宮原は雄飛の友だちのミナちゃんに言われたことを思い出していた。先々週の土曜日、雄飛を迎えに保育園へと行った時のことだ。

『今日はワイルドでセクシーなお兄ちゃんじゃないんだね』

 円らな瞳に見つめられ、思わず「ごめんね」と謝ってしまった。
 ミナちゃんと手を繋いでいた母親は顔を引き攣らせ、宮原にペコペコと頭を下げながら、ミナちゃんを半ば引き摺るようにして去って行った。
 きっとミナちゃんの母親は、平日に雄飛を迎えに行く高槻のことを「ワイルドでセクシーなお兄ちゃん」と呼び、家で頻繁に噂しているに違いない。多分それはミナちゃんの母親に限ったことだけではないだろう。
 高槻のスッと伸びた鼻梁と上がり気味の眉と眦は、見る者にきつい印象を与えがちだ。しかし少し厚めの唇が、精悍で鋭利な顔立ちにほどよい甘さと色気を加えている。目元と襟足を覆うほど長く癖のある黒髪は、放ったらかしの跳ね頭──ではないらしい。近所の八百屋のおばちゃん曰く、あれは「おしゃれな無造作ヘア」なのだそうだ。
 長身に見合った長い手足。全身がしなやかな筋肉で覆われているのは、服の上からでもわかる。内面は至って穏やかで温厚なのに、醸し出す雰囲気や仕草は、暑苦しいという意味でなく男臭い。
 なるほどミナちゃんが言う通り、高槻はワイルドでセクシーな男前なのである。

 高槻が寝室へ入ってから数分も経たないうちに、雄飛が眠そうな目を擦りながら起きてくる。
 宮原がどんなに大声を出して起こしても最低十分は布団の中で粘るくせに、高槻の声には素直に従うらしい。
 ……まったく。この違いはなんなんだ。
 座卓についた雄飛は目を瞑ったまま口を開け、高槻が箸を口元に運んでくるのを待っている。それがまるで親鳥からのエサを待つ雛鳥のように見えて可笑しかった。
 そして朝飯を食べさせ終えた高槻は、すぐさま雄飛の身支度補助に取り掛かった。パジャマを脱がせて衣服と園服を着せ、頭頂部のピョコンと立った髪を丁寧に撫で付ける。実に微笑ましい光景──。

「先輩」
「……ん?」
「のんびりしてていいんですか?」

 高槻に言われ、時間を確認して血の気が引いた。どうやらふたりの様子を十五分ちかくも眺めていたらしい。

「よくねえ……ヤバい」

 あと五分で身支度を済ませて部屋を出ないと、全速力で駅まで走ってもいつもの電車に間に合わない。残りの納豆かけご飯を大急ぎでかきこんで立ち上がった。

「あ、ちょっと待って先輩」
「なんだよ」

 玄関で宮原が靴に片足を突っこむのと同時に、後を追ってきたらしい高槻の手が伸びてきた。

「後頭部の寝癖、今日は一段とすごいですよ。雄飛のよりもすごい」

 高槻の大きな手が宮原の後頭部の髪を撫でるように梳く。
 雄飛の寝癖を直すのと同じような手つきなのに──、やわやわと頭皮を這う指の感触が、うなじをざわりと粟立たせた。

「……もういい。会社で直すから。……じゃ、雄飛のこと頼むな」

 八時四十五分。
 むず痒い感触を振り払うように頭を振って、宮原は部屋を飛び出した。



next


[どうかとなりにいて欲しい]